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馬の神性 [午]

馬は宗教とも縁が深い。幼稚園、中学、高校、大学とカトリック系の学校に行った私にとっては、馬小屋で生まれた。母マリア、ヨセフ、三人の羊飼いに見守られ、後光を放つ幼子イエスの姿は、像やカードなどでよく目にしたものである。馬小屋と言えば、我が日本の聖徳太子も、太子となる前は厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていた。厩戸とは馬小屋のことである。このことからキリストと太子を結びつける因縁があるとかないとかいう説もあるようである。

いずれにせよ。馬は神性な面を濃く持つようである。
尊い動物であるということで、馬はまた神霊を祭るための奉納品とされた。しかし奉納された馬の世話が大変なことと、経済的な理由から、この生きた馬を奉納することから、木馬を、そして絵を描いた額を奉納するという過程を経たものが、今日「絵馬」という風習になって残っている。

仏教には馬頭観音という馬頭を頭上に戴いた観音様がいる。馬の守護神であり、馬は乗り物や、運搬用に使われたことから、道中安全の守り神ともされ、道端や道路の辻などに安置されている。六道のうち、畜生道を救済する観音様である。観音様にしては憤怒の形相を浮かべていらっしゃるのが多いのだが、これは憤怒の激しさで、様々な苦悩や災難を打ち砕くということらしい。観音というよりは明王の部に近い。

私的には。。。実は馬頭のキャラクターは観音様のおわす上のほうの世界だけではなく、対局の地獄にもいるのである。「馬頭鬼」といって「牛頭鬼」と共に描かれることが多く、閻魔大王に仕え、地獄に堕ちた人々を責め苛む獄卒の一人である。馬と牛はどちらも人間が最も生活における使役頻度の高い動物であるから、あの世では逆に責め苛む対象に転生させたものと思われる。「こき使った」自覚からくる自責の具現化というところだろうか。
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地獄草紙より咩声地獄 「日本の絵巻7」中央公論社

ちなみにギリシャ神話にも似たようなキャラクターがいる。ケンタウルスという、こちらは上半身人で下半身が馬という、射手座のヒーローである。こちらは、ギリシャ人が騎馬民族と戦った際に彼らを擬人化した名残であるといわれており、「こき使った自責」ではないようであるが、ダンテの「神曲」においては、しっかりと地獄の血の河で暴君を苛む獄卒の役割を果たしているので、どこか共通のルーツがあるのかもしれない。
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 富士浅間神社の木製の御神馬

日本の絵巻 (7) 餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻

日本の絵巻 (7) 餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻

  • 作者: 小松 茂美
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 単行本



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