SSブログ

戌・犬のイメージ [戌]

1。花咲か爺さん
1。桃太郎
1。八犬伝の八房

犬は約1万年まえから家畜化され、人と共生してきた最も古い仲間である。「いぬ」は「いぬる(去ぬる)」に通じ、魔除けの象徴であった。赤ちゃんの額に戌の字を書いたり、子どものお守りに張り子の犬を飾ったりするのには、そのようないわれがある。

花咲か爺さん、桃太郎、そして滝沢馬琴の南総里見八犬伝に登場する八房も、それぞれ使える人間がいるという忠実な僕の役所として描かれている。

花咲か爺さんという、日本昔話でもベスト5に入るお話は、地方によって多少細部が異なってくるが、大まかな筋としては、善良な爺さん婆さん夫婦が受けた恩恵を隣の欲深い爺さん婆さん夫婦がまねたところ、散々な目に遭うというものである。クライマックスは、欲深爺さんに殺されたシロを埋めた土地から生えた木で作ったうすを燃やした灰を(ああ長い。。。)善良爺さんが枯れ枝にまくと花が咲くという場面である。私はなぜか、この花というのは一様に桜だと思っていたが、先日読み直すと梅の木には梅の花が、桜の木には桜の花が、桃の木には桃の花が咲くそうである。イメージ的にはシロは小さく白い犬なのだが、かますやくわを背にくくりつけた上に、爺さんとはいえ、人間一人乗せて山を登るのだから、結構大きな犬である。よく金太郎が熊にまたがっている挿絵があるが、バランスからいくと、金太郎の熊よりもシロの方が大きいのではないだろうか?そんな大きな犬を撃ち殺し、その後、死骸を引きずって善良爺さんの家の前に打ち捨てたということだから、隣のじいさまも、ずいぶん元気というか。。。挿絵の爺さんからは今の80才代か90才を想像するが、「源氏物語」では40才になった光源氏は既に老境の悟りに入ったような描かれ方をしているし、おそらくこの爺さん方は50代そこそこだろう。食糧事情は悪かっただろうが、体力的にはまだまだ元気だったのだろう。善良じいさんにしても枯れ木に登って(挿絵ではかなり高い木である)灰を撒けるくらいだから。

犬からずいぶん遠ざかってしまった。さて、桃太郎の犬。この犬も挿絵ではわりとちいさく描かれている。頭の高さはせいぜい桃太郎の腰くらい。似たような体格の猿と、さらに小さな雉を連れた子どもの桃太郎が自分たちを退治しにきたといえば、そりゃ鬼達は笑うだろう。しかし、子どもというのは老人とともに、神に近い能力をもつ存在の象徴なのである。詳しい説明は民俗学などの本をひもとけば延々とかいてあるので割愛するが、つまり鬼退治に行ったのは、非力に見える子どもと3匹の小動物ではなく、それぞれに神懸かり的な能力を有する者達であった。それぞれの動物は何を象徴するのか、これについては酉の項で述べたのでここでは書かない。

滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、この小説は、安房の里美家のお家騒動に始まる長編怪奇小説である。NHK人形劇、「新八犬伝」が放送されたのは、私の小学校時代である。辻村ジュサブローのあやしい魅力を放つ人形達は、今の私の目から見るととても子ども向けには見えないが、それはあくまで大人の感覚になってしまった私の意見で、私自身が子どもの頃に受けた印象が現在の私の位置に引っ張ってきた原動力の大きな部分を占めていることを思うと、大人の考える子ども目線というのは、子どもの感性を侮ったものなのかも知れない。「まだ子どもだから分からない」ということはない、子どものうちから大人の、ひいては時代の鑑賞に堪える美術なり、文芸なりをどんどん叩き込めば良いと思う。覚えさせる必要はない。大きな衝撃をうけた感覚は記憶の底に沈殿し感性のベースを作っていくものだと思う。今の受験勉強に見られるように、重箱の隅をつつくような試験問題、試験が終われば忘れてもOKの記憶学習ではなく、将来、自分のやりたい道を見つけた時、記憶の断片をさぐればなんらかの引き出しがあるような、そういう教育が必要なのではないか。

また話が犬から遠ざかってしまった。八犬伝に戻ろう。

この物語に登場する八房(やつふさ)という犬は、ヒロイン、伏姫の飼い犬であり、ひいては八犬士の父たる存在である。この犬はまさに牛のように巨躯堂々とし、敵陣に駈けいって敵将の首を獲ってくるような猛々しい犬である。からだに8つの斑があり、この斑が八房の名の由来でもあるのだが、これは八犬士誕生の布石のひとつである。伏姫と八房は無情にも鉄砲で撃たれて息絶えるのだが、そのときに「仁義礼智忠信孝悌」の八つの霊がそれぞれの玉を持つべき犬士の元へ飛び散る。伏姫と八房は霊となって八犬士を空の上から見守る存在となる。桃色の雲に乗り、八房を傍らに従えた伏姫の姿は、いまでも夕焼けの茜雲を見上げるたびに私の脳裏に蘇るのである。
あのときテレビはまだ白黒だったかも知れない。カラーテレビは普及していたが「カラーテレビは視力をおとす」という、その頃の風聞を受けた両親が、白黒テレビが壊れるまでカラーテレビを購入しなかったからである。ではどうして桃色の(もしかしたら茜雲といっていたかも知れないが)の印象が強く残っているかというと、進行役の黒子の恰好をした故坂本九ちゃんが解説していた言葉によって、頭の中のイメージに着色していたのだと思う。そういえばあの頃、ほとんどの友達は白黒の夢を見ると言っていた。しかし私はこれまで白黒の夢など見たことがない。今でこそ、白黒の夢を見る人はいないのかも知れないが、あの頃は「私の夢はカラー」と言うとキチガイのようにように言われたので、あえて黙っていたような気がする。返す返す、子どもの感性を侮ってはいけない。

東京の人形町は文字通り人形師の町で、駅のすぐ近くにジュサブロー館があり、10月に行われる人形市の初日には水天宮の境内でジュサブロー特別講演が行われる。私が行った年、偶然にも小さい頃の八房の人形を実演のために持っていらしていた。水天宮が安産、子授けの宮で、戌の日の御祈祷などもされてる縁で、もしかしたら毎年八房は登場しているのかも知れないが、私にすれば京都大丸で行われたジュサブロー展以来の再会だったので、とても嬉しかった。

ちなみに水天宮の御祭神はあ天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇、二位の尼(平清盛の妻)、建礼門院(清盛の娘、安徳天皇の母)の四柱である。天御中主大神は古事記にも出てくる宇宙創設の神だから分かるとしても、後の安徳天皇、二位の尼、建礼門院は。。。。この3人は誰もアズマの地を訪れてはいない。源氏の色濃い関東に平家を祭神にしたお宮があるなんて、不思議な気がする。水天門と言えば山口県下関市の赤間神宮だが、なんらかの理由で勧請してきたものだろうか。

水天宮の境内には犬の像もある。近くに行かれた時にはぜひ。


辻村ジュサブロー万華鏡花

辻村ジュサブロー万華鏡花

  • 作者: 辻村 ジュサブロー
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 1980/06/30
  • メディア: 単行本



新八犬伝 上の巻

新八犬伝 上の巻

  • 作者: 石山 透
  • 出版社/メーカー: ブッキング
  • 発売日: 2007/03/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。