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衣装コンセプト・寅 [寅]

竹林の中の虎。撮影イメージはこのモチーフで決まりである。風を象徴する竹と虎。
衣装を作るにあたってはもう一つのアイデアを加える。虎ときて竹、竹とくれば月である。もちろん出典は竹取物語。そのイメージを加えて、今回の衣装をデザインする。竹取物語ならぬ竹虎物語である。月の光を集めて作ったような金地のドレスに月光に透けるような紗の被衣に虎模様を配す。竹取物語は宇宙との交信の側面もある。竹林に佇む竹虎姫はやがて宇宙へと還るのである。
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虎の目猫の目どっちの目? [寅]

余談であるが、現存する屏風等における虎の描写について、作者が本物の虎を実際にみたことがあるかどうかの見分け方。。。。虎はネコ科である。猫の瞳孔は基本的に縦線のように細長いアーモンド型で、光の加減によって丸くなったりする。昔の人は「猫の目時計」などといって結構重宝したらしい。
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忍術の本にも猫の瞳孔の大きさによる時間の見分け方のノウハウが書かれている。しかし、猫族とはいいながら、虎の目は常にまん丸であるらしい。だから、もし縦型瞳孔の虎が描かれていたとすれば、それは猫のイメージを巨大化して描かれたものなのである。だからといて見ていないからその虎は嘘かというと、そうではない。想像であるからこそ、現実を超えた圧倒的な迫力で描かれている傑作はいくらもある。それらの画家がどういうふうに虎を想像していたかを想像するのもまた醍醐味であるように思う。
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長沢芦雪 「虎図襖」
ちなみに虎の額の縞模様を「王」の字を象って描かれることがある。
百獣の王、虎にあやかる威厳や権威の象徴らしい。




虎と竹のコンビネーション [寅]

孤独な虎と共に一番多く描かれているのが竹である。
掛け軸や屏風などでは生い茂る竹薮から炯々とした眼で姿を現す虎の姿は記憶に鮮やかである。

しかし。
竹薮の中の姿があまりに見慣れていたため、ついつい考えずにきたが、ふと疑問。

虎って竹薮に住んでいるのか?
それなら何を食べて生きているのか?
ごくごく普通のイメージでは、竹薮に住んでいるのはパンダなのだが。。。
もしや虎も笹の葉を食べるのか??
パンダは熊、熊はネコ科、虎もネコ科。。。ええええ????

虎の食用となりそうな、竹薮に住んでいる小動物などたかが知れいている。
竹薮の生態はよく知らないが、せいぜいウサギやキツネ、またはタヌキあたり。。。あとはネズミや小鳥。。。?
山月記の李徴は目の前をかけ抜けたウサギを無意識で食べたと言っていたし、竹薮で生息できないことはないのかも知れない。。。 

そもそも虎はスマトラとかインドネシアとか、アジアの密林地帯の猛獣である。
そして自分の体格とほぼ同じくらいの草食動物なんかを猛スピードで追いかけて後ろからがぶっと食らいついて倒す。。。それも華麗なるファミリープレイで。

虎が生息せず、実際の生態を知らなかった日本人が、なんとなく似合いそうだと思って虎と竹のモチーフを考えた訳ではない。中国の掛け軸にだってしっかり虎と竹が描かれている。その訳は?

ライオンの棲息しないアジア大陸において、虎こそは百獣の王であった。虎は千里を往き千里を帰る。颯爽と走る姿は風の象徴とされ、ゆえに同じく風の象徴とされる竹と組み合わされて視覚的なモチーフとされたのだという。勇猛な姿は武家に好まれ、雲を呼ぶ竜とともに屏風絵や襖絵などに多用されたということである。


日本における虎のあしあと [寅]

そもそも虎は日本に生息しない。7世紀末、天武天皇の治世において、新羅のからの献上物としてはじめてその毛皮が日本にお目見えする。本物の虎が上陸したのは9世紀末、猫好きの宇多天皇に新羅から送られた虎の子2匹である。しかしいつまで飼育されたことか。早々に皮になったのではないかと思われる。
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「鳥獣戯画」より 虎皮を検分中のウサギ。。。

豊臣秀吉が大阪城の前でが虎を檻にいれて飼っていたという話もあります。
町の人から毎日一匹ずつの犬を食料として差し出させていたとか。可愛い飼い犬を差し出すなんて、飼い主にしたらたまったもんじゃない。でも天下の太閤様の命令とあらば背く訳にも行かず、泣く泣く差し出していたそうで。
ところがある日、ホネのある一匹が、おとなしく喰われるどころか虎に挑みかかり、死闘の末に相討ちとなった。これは不届きなということで、飼い主は裁きを受けたけれども、町の人々は拍手喝采を送ったそうです。 

加藤清正の虎退治も有名な話。これは日本国内の話ではなく、文禄/慶長の役の際に朝鮮半島に渡った加藤清正が部下を虎に喰われたことに憤って、虎に逆襲を仕掛け、見事討取ったという話。五月人形や武者のぼりのモチーフにもなっています。そもそも朝鮮出兵の真の目的は、虎の脳みそが長寿の薬であるという噂を耳にした秀吉が、虎狩りをさせるために企てたとかなんとか。。。。
朝鮮半島に結構虎は出没していたようですね。今はどうなんでしょう。あまり聞きませんが。。。

寅/虎のイメージ [寅]

1・ 中島敦の山月記
1・「屏風に描かれた虎を縄にかけられるか」という、一休さんの挿話

トラトラトラという、真珠湾攻撃の有名な文句も浮かんだが、あれは「突撃、雷撃隊」の頭文字、ト・ラで、作戦成功を伝える電信であるとか。長い間「虎の翔る勇ましい様子をイメージしたかけ声」だと思っていた。

いずれにしても虎のイメージは孤独である。
山月記の主人公・李徴しかり、屏風やふすま絵、床の間の軸などに描かれている虎もたいてい一匹で、竹の中に佇んでいるか、岩の上で吠えているか、龍とにらみ合っているか。。。である。
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虎の生態を紹介しているテレビの番組などでは、群れで行動し、集団プレーによる獲物捕獲作戦を行ったりして、ファミリー意識の強い動物にも思えるが、私の中では、なんとなく一匹で佇む印象が強い。
李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

  • 作者: 中島 敦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/05
  • メディア: 文庫



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