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虎の巻 [寅]

「虎の巻」とは「とっておきの秘策、アイデアの書いてある書物」のことである。

その由来は、「中国の兵法の秘伝書『虎韜の巻(ことうのまき)』が略されて『虎の巻』になったという説と、旧約聖書の最初の五書トーラー(モーセ五書)が、ユダヤから日本へ渡った時にトーラーが虎になって、秘伝の巻物(昔の書物)=虎の巻になったという説がある。

「虎の子」という言葉もあるように、どうやら虎がつくというのはかなり貴重な存在のたとえであるようだ。しかし貴重とはいっても天上世界にあって届かぬものではなく、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とあるように、危険承知の間一髪のところで手に入りそうなものであるような気がする。

天上世界のもの、というと、この寅の衣装を製作する際のアイデアである「竹取物語」」のかぐや姫は5人の求婚者にずいぶんと無理なプレゼントの要求をしている。  
   
   仏の御石の鉢
   蓬萊の玉の枝
   火鼠の裘、
   龍の首の珠、
   燕の子安貝

現代の私たちが聞いてもピンとこないものばかり。
これらは危険を承知で取りに行くというよりは、あるはずの無いもの、天上界のものであると思われるが。。。いや、まてよ。。。かぐや姫の時代なら、もしかしたら実在すると信じられていたのかも。。。。実際貴公子達は探しに行ったり、それらしきものを作らせたりしているのだから。。。

かぐや姫は「上手な求婚の断り方」とでもいったような「虎の巻」を持っていたということかな。

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春日権現験記絵より この絵巻が描かれた頃にはかぐや姫物語はすでに普及していたと思われるが。。。 ちなみにこの貴女は御笠の山に住む、春日権現の使いである。。。

余談:「鬼」とは? [寅]

そもそも日本でいう「鬼」は英語でいう「demon」とは根本的に趣が異なる。
西洋の鬼は絶対神に対する悪の象徴の「鬼」であるが、日本の鬼のありかたは必ずしも善の対局にある悪ではなく、すこぶるバラエティーに富んでいる。

例えば、「天神さん」で親しまれている菅原道真は、学問の神様でもあるが、同時に雷神でもある。ご利益とともに災いももたらす。神と鬼が表裏一体となった好例である。往々にして祭らなければ祟るというのは日本の八百万の神のとてもヒューマンな側面である。

「鬼籍に入る」という。人は死後、鬼になるというのである。神の表裏であると同時に、鬼は人の表裏の姿でもある。生前から「鬼のような形相」になることもあるわけだから。

浜田廣介の「泣いた赤鬼」などのように、人間界の外に住む異形のものの象徴として描かれることもある。「酒呑童子」にでてくるような悪行非道な鬼ではなく、善なる心根を持った哀しい異形の存在なのである。

このままいくと延々続きそうなので、鬼の話はこの辺りで。。。。

寅のパンツ、牛のツノ [寅]

「オニのパンツ」という歌がある。

   オニのパンツはいいパンツ 強いぞ 強いぞ
   トラの毛皮でできている 強いぞ 強いぞ

   10年はいてもやぶれない 強いぞ 強いぞ
   100年はいてもやぶれない 強いぞ 強いぞ

   はこう はこう オニのパンツ 
   はこう はこう オニのパンツ

   あなたも わたしも お兄さんも お姉さんも
   みんなではこう オニのパンツ


確かこのような歌だったと思う。「フニクリ・フニクラ」の替え歌である。
一体これはどういう歌だろう? 強いオニのはいているパンツを同じようにはくことによって、オニのように強くなりたい、という歌だろうか? それにしては、いやにパンツの強さが強調されているような。。。

トラの皮が強いことを強調したいのか? 100年もはけるパンツということは。このパンツをはけば替えパンツは要らないのか。。。? パンツの強度だけを強調したいのなら、オニのパンツである必要はあるのか。。。。? などという余計な疑問が脳裏をよぎる。おそらくおむつからパンツへきりかわる子どもに、パンツを自分で楽しくはこうという、訓練の歌だったのかな〜などと想像しつつ。。。ちなみに友人は「明治まではパンツがなかったらしいね。デパートの火災の時にパンツをはいていなかった女の人が、恥ずかしさのために飛び降りれなくて、そのまま死んでしまったということがあったらしいから、そのあとパンツ推進協議会が安全促進のためにつくったんじゃない〜?」などといっている。グンゼのワコールの皆様、いかがお考えでしょうか?

さて、ここで重要なのはパンツの強さではなく、オニが虎皮のパンツをはいているということである。

秋田のなまはげを筆頭に、日本全国に鬼の祭りがあり、特に節分の頃に集中する。
いろいろなバリエーションはあるものの、一般的に「鬼」姿のポイントはツノとキバ、そしてトラ皮のパンツということになるだろうか。パンツは残念ながら見えないことも多い。

なぜ鬼はこんな恰好をしているのだろう?

鬼というのは「鬼門」、方位で言うと北東の方角から出入りすると言われている。
なので、その鬼の侵入を封じるために、陰陽道をベースにした都市計画では鬼門封じといって、例えば京では比叡山延暦寺が、江戸では東叡山寛永寺が置かれていたりする。この風習は結構根強く、そういえば、私の家でも庭の北東の角にはヤツデの木が植えられていた。ヤツデは「天狗のうちわ」の別名を持ち、天狗には邪鬼を払う力があることから、魔除けの木とされている。

その北東が十二支ではちょうど丑と寅の間、丑寅にあたる。
早い話、丑寅(ウシトラ)から来る忌むべきものの姿ということで、鬼は丑(牛)の角を持ち、寅(虎)のパンツをはいているということである。

あやかるならパンツの強度ではなく、虎の勇猛さにあやからなければね、やっぱり。

寅の縁起 [寅]

この十二支シリーズを作るにあたり、寅年から始められたのはとても縁起がいい。十二支は年も表すが、同時に月も表す。寅は旧暦一月に当たる。伝統的な要素を取り入れながらの試みなので、旧暦の一月がスタートというのは意図したわけではないにせよ、偶然による必然、または必然は偶然の産物か。。。とにかくラッキーである。


寅さん [寅]

寅と言えば忘れてはならないのが、この方、寅さん。葛飾柴又帝釈天で産湯を使った、日本人のDNAにしみこみわたった存在である。もはや新作がないのが寂しいが、寅さんのは日本人の心のふるさととして、これからも生き続けて行くのだろう。
東京へ移動するにあたって、雰囲気的に私は人情厚い寅さんのイメージのある下町に物件を探したかった。近所におやきのお店なんかがあって、気分転換の散歩に出かけ、ほくほくと湯気をたてたコロッケとか、ドーナッツとか、紙袋に数個入ったのを持って、ご近所のおじいちゃんやおばあちゃんと「梅の花がそろそろ咲くねえ〜」「お茶一杯どうだい〜」なんてご近所会話のできるような場所を夢見ていたのだが。。。諸事情あり、結局落ち着いたのはいわゆるデザイナーズと呼ばれるコンクリートうちっぱなしのマンションである。暖房効率の悪いメゾネットの高い天井を見上げながら、下町の人情風景を思い浮かべるのである。


張子の虎 [寅]

大阪の道修町は製薬会社の立ち並ぶところである。この地に薬の守り神である神農さんを奉った少彦名神社がある。   
その昔、大阪でコレラが流行し、薬問屋が虎の頭の骨で丸薬をつくり、神前祈祷の後、病除祈願のお守りとして張子の虎とともに庶民に配り、効能があったことから有名になったもの。製薬会社につとめていた父が、毎年笹の葉に吊るされた張子の虎を持って帰っていたが、そういういわれがあると知ったのはずいぶん後になってからだった。神農は古代中国伝説上の、医療と農耕の神、少彦名は海の向こうから渡ってきた渡来系の神で、一寸法師のモデルともされている神であるが、同じく医療、農耕の神である。この2柱の神が大阪で虎と縁づいているのは、いかにも、「実は虎の脳みそを長寿の薬と信じて文禄・慶長の役をおこした」と噂のある太閤さんの町にふさわしいのかどうなのか。

阪神タイガースのルーツもこのことと関係があるのだろうか?
また、海の向こうからはるばるやってきた子虎がはじめて上陸したのも現在の大阪府であったとか。

大阪は虎とはよほど縁が深いのかも知れない。

撮影裏話/寅/その3 [寅]

撮影を終えるとちょうどお昼時。お腹がぐ〜っと鳴る。

「なんだか温かいものが食べたいね」

冷え冷えとした顔で、ギギンガーがカメラマンの腕を掴む。冷たい。
目が訴えている、一刻一秒でも早くどこかへ連れて行けと。

一番近いとことにあった天下一品に飛び来む。こってりラーメンの温かさが、まったりと体中にしみ渡る。寒さで唇を紫色にしていたギギンガーも人心地ついたよう。満足して席を立ったその時、

「女優さんでっか」

話しかけてきた、隣の席に座っていたダンプの運転手風のおじさん。

「握手してください」

そう、ギギンガーはギギンガー化粧のまま、ラーメンを食べていたのである。
あまりの寒さにメイクを落とす心の余裕がなかったのだ。
確かに、この近くには京都の太秦があるし、京都は雑誌や映画の撮影がしばしば行われるから、おじさんもそう思ったのかも知れない。

ギギンガー、にっこり笑っておじさんと握手。

そういえば、前回の撮影の後は、阪急松尾駅の近くのパスタ屋さんでお昼を食べた。あの時はある程度落としていたが、若干髪の生え際などに金粉が散っていたため、ふたつとなりの2人連れのおばさんがちらちらとこちらを窺っていた。「モデル?」「撮影?」というひそひそ言葉が聞こえたが、やはりちゃんと話しかけてくれる方が気分はいい。

2度目のネガフイルムでの撮影は成功。やはり、背伸びして使い慣れないもの(ポジフィルム)を使ったりしたのが仇であったか。
ポジフィルムの研究という課題を残して、1年目、寅年の撮影は無事終了。

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撮影裏話/寅/その2 [寅]

約3日後の、再び晴れた朝。早朝の光はまぶしすぎることが前回で判明したので、今回は少し時間をずらせる。

2度目はネガフイルム4本持って出発。
竹林はもう勝手知ったるである。傾斜を走るのにもずいぶん慣れた。
カメラマンはスタイリストも兼ねているので、衣装の裾を整えたりして、カメラとモデルの間を往復し、カメラの位置を変えて動き回っているから、いい運動量で身体もほこほこしているのだが、モデルはそうはいかない。風通しの良い広幅の着物風ドレスに薄手の打ち掛け姿である。時は師走。

「衣装つけた時って、不思議と暑さ寒さ、重さなんかを感じないよね、そのキャラクターになりきってしまえば」などと、無責任発言するカメラマンにうらめしげ〜な視線を飛ばしながら、けなげにポーズをとるのであった。

「ギギンガー」というのが、この衣装の愛称である。怪獣ものにでてくるキャラクターのようだ。本来は竹虎姫という、風雅な格調のあるものであったはずなのだが、宇宙を意識した金色系のメイクをするうちに、なんだかこんな命名になってしまった。物事は真面目ばかりではつまらないのである。

「ギギンガー、もうちょっと右向いて」
「ギギンガー、一本向こうの竹に移動してみようか」

撮影は順調に進む。


撮影裏話/寅/その1 [寅]

1998年の12月のある晴れた早朝、カメラ、三脚、衣装、化粧道具と結構な荷物とともに車で出発。アトリエからは約20分の距離である。スタッフはカメラマンとモデルの二人。十二支シリーズ初の戸外ロケ。意気揚々と出かける。

早朝の竹林には人影もなく、藁は朝露に湿っている。化粧はアトリエで済ませてきているため、衣装にささっと着替えて撮影開始。ポジフィルム24枚撮り3本撮影して、無事終了。

現像して唖然とした。清々しい竹林の光景のはずが、鬱蒼と暗いものに仕上がってしまったのである。原因は竹林の上方から差し込む早朝のまばらな光と、竹林内部の暗さとの光のアンバランスさ。自動シャッターでは無理だったのか?それともポジフィルムを使いこなせていないのか?なんたって、カメラマンは趣味にケの生えたようなデザイナー自身なので、露光調整など難しいことは分からない。

とにかく撮影したフイルムが使えないのは確かなことなので、再度撮影決定。


京都府長岡京市  [寅]

撮影場所を決めるため、竹の名所を回った。京都近郊で竹の名所と言えば、やはり嵯峨野の竹林である。吹き渡る風の音も心地よく、源氏物語や平家物語の世界へすぐにトリップできそうな名所である。
しかし、ここはあまりに名所。悪いことをするわけではないが、あまり目立つのも。。。さらに、基本的な問題点として、嵯峨野の竹林は延々垣で遮られているため、中に入っての撮影が自由にできない。
どこかに撮影許可の届けを出して。。。という大げさなものではない、個人的な作品撮りなので、ちょっと入って、ちょっと撮らせていただきたいだけなのである。

竹林を想像するとき、浮かぶ風景は天に向かってすっきりと伸びる幹の清々しさや、青空を覆う葉の様子だったりするが、今回の竹林探しのポイントは「足もと」である。竹林の中に佇むショットには道路や垣が入っては困る。

そうこう探すうち、きれいな竹林を見つけた。タケノコの名産地、京都府長岡京市の竹林である。藁できれいに整地された竹林はまさにうってつけ。垣もあるが、うまい具合にほころび箇所があり、らくらく中に入れる。
多少うっそうとはしているが、人家もほど近い。近くの西山ではわらび取りにいった主婦が殺害され、いまだ未解決の事件が起こっている。安全性だけは確保しておかねば。あまり入り込まず、声が人家まで届きそうな範囲内で場所を探す。

しかし、藁敷きの地面って、かなり走りにくい。傾斜面だし。万が一のため、ある程度走る練習はしておく。

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