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ヘビ嫌いの母・3・警察騒動 [巳]

「イヤだイヤだ」と思っていると、逆にそのものが目に付きやすくなってしまうのは、運命のいたずらというところだろう。我が家では昔犬を飼っていたが、その犬の散歩に近所の河川敷に行って、私がヘビに遭遇したことは一度もない。しかし、母は
河川敷でも、そして家の周りでさえ、年に何度かヘビに遭遇するのである。

そんな母にはヘビもサービス精神過剰になるらしい。

またまた私が子どもの頃の話である。ある休日、縁側で新聞を読んでいた父のところへ、お茶を持って行った母が、ふと何気なく庭の木を見ると、上へ向かって伸びている枝の中に、一本だけ下を向いている枝が。。。「あれ?」と思って目を凝らすと、なんと、ヘビが垂れ下がっている姿。「へっヘビヘビっ」硬直した母に気づいた父が「なんだ、ヘビくらい」と、立ち上がろうとした。「だめよっ、ヘビにさわらないでっ」叫ぶと母は電話に直行、押した番号は110番。
「警察ですかっ、家の庭にヘビがいるんですっ、すぐ穫りに来ていただけませんかっ」「ヘビですか?ご主人はいらっしゃらないんですか?」「うちは母子家庭なんですっ」
「ご近所にどなたか頼める方はいらっしゃいませんか」「こんなことご近所にお願いなんかできませんっ」「そのうちどこかに行きますよ」「行って家の中に入ってきたらどうするんですかっ、お願いっ、助けてくださいっ」「分かりました、15分以内には着きますから」

受話器をおいた母は忙しかった。

「さっ、あなた、うちは母子家庭なんだから、隣のうちに避難してちょうだい。いい?決して様子見に顔を見せたりしちゃだめよっ、早く早く、○○○さ~ん(隣のお家への呼びかけ)」

こうして書いていると無茶苦茶な話である。父のために弁護しておくが、彼はむしろ獲ることに積極的でさえあったのだが、ヘビを触った人に家にいられるのはイヤだという、自分中心このうえない母のために、強制退去させられたのであった。

父を追い出し、靴など男物の形跡を消し回る間に、母は2度程ヘビの様子をガラス越しに見に行ったらしい。ヘビはずーっと垂れ下がったまま。よほど天気が良くて、その状態が気持ちよかったのか、周りの状況把握に鈍感だったのか。。。

そうこうするうち、警察が到着した。きびきびとしたわかい警官だったそうだ。

「ヘビ、どこですか」
「あそこです、庭の左側の木のところ」
「ああ、いますねえ、奥さん、ゴミ袋ひとついただけますか」
「どうぞっ」

カンジンのヘビ捕獲の様子を母は見ていない。離れた部屋でじっと息を潜めて待機していたそうである。しばらくして「奥さん、獲れましたよ~」と、快活な警官の声。
いそいそと出て行った母に彼はヘビの入ったゴミ袋を渡そうとした。袋の底にはこんもりとヘビの気配。。。

「いえいえっ、結構です、どうぞ、お持ち帰りください」
「そうですか、では途中で処分しておきます」
「殺。。。殺すのはやめてください、どこかに放してやってちょうだい
 (決して優しさではない、祟られると困るという迷信からきたものと思われる)」
「はいはい」

その後、母は警察にお礼の電話をした。

「良かったですね、困ったことがあったら、またいつでも電話してください」

母が友人達にこの顛末を語ったところ、
「税金の無駄使い」派と「いい話ね」派と、ほぼ半々に分かれたそうである。

。。。昭和の平和な、いい時代の話としておこう。。。
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ヘビ嫌いの母・2・鱗の主張 [巳]

母の生家は石川県にある構えの大きな商家である。小さい頃、夏休みに訪れた折には、黒光りしている梁や大黒柱の迫力に圧倒された。現代のいわゆる○○○ハウスとか○○○ホームとは違って、いわゆる昔の民家の屋根裏にはヘビやイタチ、ネズミはつきものだったそうで、彼女の記憶によると中でもヘビの這い進む音は格別。ざざーっ、ざざーっと天井裏から響いたそうである。幼かった母は、布団の中からその不気味な音を聞いていたらしい。ヘビってぬるぬるしていそうなイメージがあるけど?と思うが、あにはからんや、ヘビの全身は鱗で覆われており、それを逆立てることによって移動するのだそうである。ざざーっという音は、鱗が床に擦られる時の音だそうで、確かにぬるぬる、つるつるでは床に対する抵抗がなくて移動できないかもしれない。

またある日、その家の台所の床穴から、ヘビがにゅっと鎌首をもたげていたそうだ。女中さんが発見して大騒ぎ。男衆が来て、首を捕まえて引きずり出そうとした。穴はヘビの直径ジャストのサイズ。ぴゅっと引きずり出せそうなものであるが、ヘビはくだんの鱗を逆立てた。そうすると、男衆が満身の力を込めてもその位置以上に引きずり出すことが出来ず、あきらめたところで、ヘビは自分からすぽんと首を引っ込めて姿を消したそうである。たまたまその前にネズミでも食べて、首の位置から下の部分がお腹いっぱいで膨らんでいただけだったりして。
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母が鱗の抵抗力だと主張するので、そういういうことで。

ヘビ嫌いの母・1・長いもの嫌い [巳]

私の母は大のヘビ嫌いである。テレビに移ったヘビでさえ、嫌悪感をむきだしにして、きゃーきゃーと騒ぐ。かまれた経験でもあるのかと思えば、そうではなく、ただ嫌いなのだそうだ。なぜ嫌いなのかといえば

 長いから
 手足がないから

だそうである。同じ条件でドジョウもアナゴもウナギも、嫌いなのだそうである。ドジョウ・アナゴ・ウナギは魚類で爬虫類のヘビとはグループ自体が異なり、さらに前者にはひれがあったり、しっぽがあったりするのだが、彼女はそのような冷静な分析はどうでもいいらしい。「嫌いなものは嫌い」なのである。

母と妹3人でお寿司屋さんにいってにぎりの盛り合わせを頼んだ時などは、母と、そして母に追随した妹からアナゴが移動して来る。アナゴが嫌いなわけではないが、いかにも「いらないから」という気分満々なので、うれしいような、うれしくないような。ちなみに私はうな丼もドジョウも好きである。
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町家の白蛇 [巳]

衣装製作のアトリエとして、京都に7年間町家を借りていた。小さいながらも千本格子に虫籠窓(むしこまど)、漆喰の壁の町家だった。そこではお手洗いが部屋の廊下続きの外にあった。ある日のこと、お手洗いにたったスタッフが、息をつめてぬき足さし足しのび足で、部屋に戻ってきた。「シロヘビ、シロヘビがいる、樋のところ、ひなたぼっこしてる」漫画なら点々のふきだしで表現しそうな声で報告する。「シロヘビ?ほんと?」
なんといってもシロヘビは吉兆である。さっそく拝まんものと、そろそろと移動する。

いた。白い小さな頭が茶色のプラスチックの樋から5センチ程出ている。察するに胴体は樋に添っているのだろう。とても天気の良い日で、私たちの視線に気づく風もなく、生きているのか死んでいるのか、まばたきのない黒い瞳を中にうかせたまま動かない。
「可愛いねえ」大のヘビ嫌いのスタッフもゲンキンなもので、シロヘビとなるとありがた味を幾分感じるらしい。私はもともとヘビ擁護派なので、近づいてみたかったが、もしかして毒持ちかも知れないと思い、ありがたく拝むだけにとどめ、お昼寝の邪魔はしなかった。
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その辺りの古い町家ではいまでもヘビはよく見かけられるらしい。
「そらあんた、シロヘビちゃうで、アオダイショウや」
近所のおじさんが教えてくれた。
私たちの見たヘビはアオダイショウといって人家近くに生息する本土で最も良く見られる種だそうだ。古い家や倉などでは、人の食物を荒らすネズミを食べるというので、家の守り神ともされてきたらしい。アオダイショウは名前の響きから青系のヘビを連想するが、黄色、褐色がかったのもいるとのこと。よく「シロヘビ」といわれるのは、このアオダイショウの薄い褐色系のものらしい。

ありがたいシロヘビ様と思ったのが、ありふれたアオダイショウだと言われて、私たちは一瞬がっくりきた。しかし、そこであきらめてはいけない。ご利益を得るためには探究心を鈍らせてはいけないのである。調べた結果、岩国の有名なシロヘビなどはこのアオダイショウのアルビノ種だということである。ということは、私たちが見たヘビも、貴重なアルビノ種だったのに違いない。そう、あのヘビはまさしくシロヘビさまだったのだ。

ちなみにアオダイショウには縦の4本の筋があるらしい(ないものもいる)。しかし、幼ヘビのには横シマがあって、一瞬毒性の強いマムシに見えるのだが、アオダイショウの目はまんまる、マムシの目は縦長の猫目なので、区別は簡単らしい。けれども、ヘビを発見した瞬間に、そこまで見分けられる心の余裕のある人は。。。少ないだろうなあ。。。。。

撮影:福井県越前海岸 [巳]

水仙の花で有名な越前海岸にある海蝕洞窟。偶然越前海岸の観光マップをみていて「ピン」と来たところである。近くには龍の伝説も残る地であり、撮影にはもってこいの場所である。国道305号線の通る越前海岸は観光スポットが点在しており、シーズン時には、さぞ人出で賑わうのだろうが、12月ということもあり、海岸線に沿ったガードレールを修理しているおじさん達数名の他には、時折通る車くらいで、ほぼ一目も気にせず、撮影快調。しかし、ここへいたってもうジンクスというか。。。一度目に撮影した写真にどれもピンとくるモノがなく、撮影は今年も2度目を迎えることに。。。
デジカメのまだ普及していなかった頃の話である。
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衣装コンセプト/巳 [巳]

蛇の衣装と言えば、歌舞伎や能の衣装にもみられるように、三角の鱗模様がもっともポピュラーなであろう。きらめく銀鱗。。。袖にシルクスクリーンで銀箔を施した。
袴は絹の帯地の特別誂え。これにも銀箔で鱗文様が織り込んである。そして身頃は、
正絹の鬼しぼちりめんをひも状にし、編み込んで1枚仕立てにしたものである。この鬼しぼの表面にはスパンコールがぬらぬらと、まさに魚鱗のように施されている。この迫力は写真ではちょっと分かりにくいのが残念である。
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撮影イメージ/巳 [巳]

神社のしめ縄の蛇。。。神。。。神秘。。。
神秘というとなぜか洞窟が浮かんだ。意識が和による影響もあるだろうが、アマテラス神の登場する天の岩戸の物語が頭に浮かんだのである。アマテラス神が隠ってしまった洞窟は全くの闇であった。 アマテラスを内在する、その闇を守るミステリアスな蛇。。。その姿は聖域と俗界との結界であるしめ縄をも連想させるものである。白蛇にしたのはアルビノ種のもつ貴重のイメージ。。。貴種と清浄さの象徴である。
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ヘビの敵役の神格化 [巳]

孔雀明王という密教の明王部の仏がいる。羽を広げた孔雀にのっている姿が一般的にしられている。広げた孔雀の羽はゴージャスで神秘的、それゆえに仏の乗り物として栄誉ある役割を与えられたものだと思っていたのだが、じつは他に理由があった。
咬まれれば致死に至る猛毒を持つコブラを、孔雀は食べてしまうのである。毒が人間に内在する毒(煩悩)に転化し、その煩悩を食べてくれるということで、孔雀は神格化された。
インドネシアの国営航空会社、ガルーダ・インドネシア航空の名前にもなっているガルーダは、ヘビや龍を退治するインド神話に出て来る聖鳥である。東南アジアを中心にガルーダがヘビを踏んづけている像が建物のあちらこちらに施されていたり、紋章に使われたりしているのが見かけられる。

日本でおなじみなのは、このガルーダが仏教に習合された後の迦楼羅(カルラ=金翅鳥)で、仏法の守護をする八部衆(興福寺など)や千手観音の脇侍である二十八部衆(三十三間堂など)に、その名が見られる。また不動明王の背負う炎を迦楼羅炎といい、これは迦楼羅の吐く炎で、煩悩、悪行の一切を焼き尽くすといわれている。

これらの発端はヘビを倒すということである。
ヘビを倒すというのはすごいことなのである。

ヘビは古今東西、原始の信仰の対象であったといわれる。インドにおいても中国においても、国の始まりはヘビと密接に関わっている。それほど信仰されていたにもかかわらず、あえて悪魔的イメージが伴うのは、蛇神信仰というアニミズム的原始宗教に対して、後から起こった体系的な宗教により、その存在が強力に貶められてしまったという経緯があったりするようである。アダムとイブに登場するヘビなどもその一例であろう。歴史においても強力な者が敗者となった時には、とことん悪の代名詞となる。例えば蘇我入鹿、吉良上野介、井伊直弼。。。彼らは悪名高きヒールたちであるが、資料を見ると実は人徳があったり、偉業があったりするが、それらは正史の上では勝者によって抹殺されてしまっているのである。強力な者である故の落魄。。。ヘビもまた彼らの仲間なのかもしれない。


ヘビの面目躍如 [巳]

さて、実はヘビの長所をじっくりと時間をかけて探す手間はいらない。長所どころか、へびは実に堂々と尊敬の対象となっているのである。

日本全国の神社にかならずかけられているしめ縄、伊勢の二見が浦の夫婦岩にかかっている巨大なしめ縄から、お正月にかけるしめ飾りまで、あの形はそのままヘビの交尾の姿なのだ。私は実際に見たことはないが、ヘビの交尾というのは凄まじく盛んなものらしい。ぐるぐると絡み合った二匹のヘビは、くんずほぐれつ、山際を滑り落ちてもまだ飽きることなく交尾を続けるという。その精力旺盛さに、昔の人々は強力な子孫繁栄の象徴をみた。

日本の神道において、蛇は外すことのできない、むしろ大前提の存在である。古代、大和政権の中核をなすの大神神社に奉られるの大巳貴神(オオナムチノカミ)は蛇神であった。中国の神話の最初の皇帝である伏義とその妃である女禍は人面蛇身であり、またこの二人はイザナギ、イザナミのモデルになっているとも言われている。

ヘビの株、大幅上昇。さらにこの上昇に拍車をかけ、ヘビの面目躍如を完成させるための、他の12支とは全く異なる特性がある。

ヘビは脱皮する。

その姿に原始の人々は死と再生の循環をみた。ヘビが自分の尾を加えた図柄があるが、あれは生と死をシンボル化したデザインである。

「四神相応」。これは風水のひとつで、地相を判断する指標の一つで、四神とは東西南北を守護する霊獣、青龍、白虎、朱雀、玄武を指す。有名なものに高松塚やキトラ古墳の壁画などがある。玄武は死と再生の象徴である蛇と、「鶴は千年、亀は万年」の、長寿の象徴である亀との合体動物である。玄武は方角的には北を司る。北方を司るといえば、天空に浮かぶ北斗七星である。この星座もまた北天の守護神としての歴史を持つ。この北斗七星を形作る柄杓の受けの部分と柄の部分がそれぞれ亀と蛇を象っているという。北は四季でいえば冬にあたり、すべての終わりであり、始まりである象徴である。その2つの意味からも亀と蛇という2者で表しているのだといわれ、古人の祈りと願いの込められた聖なる意匠である。

生と死の象徴、脱皮後の皮を財布に入れるとお金が貯まるという。
中学校の理科室で先生に脱皮したヘビの皮をもらって、財布に入れて母に見せたところ、あやうくおこずかいを打ち切られそうになった。

母がヘビ嫌いだということをその直後に思い出した。


巳・蛇のイメージ [巳]

「ヘビ」に対して好意的な感情を持っている人はまず少ないだろう。
ヘビ=嫌われものといっても過言ではないくらい、ヘビの好感度は低い。しかし、そんなに嫌われもののヘビが選ばれた十二支に入っているのは、人間に近い存在であることの証明であり、なにか意味があるのではないだろうか。

なぜヘビは嫌われるのか?

ヘビの目はアップで見ると可愛い。トカゲもしかり。いっしゅん可愛らしく群れているすずめや、または動物園のアイドル、パンダ辺りの目のほうが、アップになった時には、ぎょっとするくらい獰猛である。ヘビのつぶらで黒い瞳はちょっと潤んでいるようでもあり、色っぽささえ感じる。

色っぽいと感じる私個人の感想は、意外と古今東西のヘビ評価の根底において的を得ているのではないか。思い起こせば、アダムとイブの物語にしても、インドの昔話にしても、ヘビというのは人間を誘惑する対象として登場する。誘惑者には「魅力的」という条件が伴うものである。魅力のない誘惑になんて誰も引っかからない。

ヘビは私たち人間を背徳に引きずり込む魅力を持つ。。。というか、背徳的な誘惑に打ち勝てない人間が、道徳心への言い訳としてヘビをダミーにしたか。。。。
ヘビは人間の原罪を背負わされているのかも知れない。


ヘビの特徴と言えば「毒がある」「長い」「手足がない」ということだろう。
この要素がヘビの嫌われる原因なのだろうか?
毒でいえば、ヘビ類で有毒なものは世界3000種の2割から3割程度だそうである。
日本ではマムシ、ヤマカガシ、ハブなどが代表選手である。あと、毒蛇といって連想するのはコブラやニシキヘビ。。。であろうか。胸をコブラに噛ませて死んだクレオパトラの話は有名である。
しかし、毒で嫌われるのなら、ハチでもフグでも致死に至る有毒なものはいる、ヘビだけが毒薬使いとしてやり玉にあがるのは、それこそ気の毒である。

では「長い」「手足がない」という、外見的な特徴がヘビの嫌われる原因だろうか?
「長い」のはダックスフンドの胴やキリンの首、または象の鼻、手長ザルなども、他の動物の同じパーツの平均より遥かに「長い」が、これらは愛されこそすれ、嫌悪の対象にはならない。

「手足がない」。手足は魚にもない。しかし魚にはひれや尾という立体的なものが備わっている。どうやら「つかみどころがなく長い」という辺りにヘビの嫌われポイントが絞られてきそうである。

しかし。しかしである。前述のように、それほど嫌われものに徹するヘビが、限定12脚の椅子に座れるだろうか。逆にヘビの長所、美点を探してみよう。


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