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月と兎 [卯]

インドの仏教説話/ジャータカ物語に月と兎に関するお話がのっている。
概要はこうである。

昔々兎と狐と猿が仲良く一緒に暮らしていた。3匹がいつも話し合うことには、前世の行いが悪かったために、今こうして獣の姿に生まれてしまったのだから、今度は一生懸命修行して善業を行おうね、と。

そこへひとりのおじいさんがやってきた。おじいさんは足もとはふらつき、恰好もぼろぼろでとてもお腹をすかせていた。
3匹はおじいさんをにごちそうしようと、それぞれ食べ物を探しにいった。
猿は木に登って木の実をどっさり、狐は川で魚をとってもちかえってきた。
ところが、兎は八方駆け回って探したが、なんにも見つけられない。とぼとぼと帰ると、待っていたおじいさんが「おやおやうさぎさん、さるさんは美味しい木の実をたくさん穫ってきてくれましたよ、きつねさんは魚をどっさりくれましたよ。あなたは何をごちそうしてくれるんですか?」ときいた。うさぎは泣きそうな顔になりながら、それでもおじいさんに、いますぐごちそうをさしあげますから、どうぞ火を起こしてください、と頼んだ。たき火の火が程よく炎を上げた時、うさぎは「おじいさん、わたしは何も穫ってくることができませんでした、だから、どうぞ私を食べてください」といって、さるときつねがあっという間もなく、火の中に飛び込んでしまった。

おじいさんは実は帝釈天というえらい神様で、3匹の様子を天からご覧になって、ひとつ試してやろうと、下界に下りてこられたのだった。
うさぎの心根に心うたれた帝釈天はこのけなげな姿を永久にとどめるために、たき火の中のうさぎを月の表にお移しになったということである。

。。。。このお話を始めに読んだのは小学校の頃であった。少年少女向きの世界文学全集の中の一話だったように思う。たしか「インドのおはなし」という簡単な紹介で、そのときは仏教説話だとか、帝釈天とか、そういう難しい言葉はのっておらず、目を押さえて火の中に飛び込む挿絵のうさぎの姿が、とにかく可哀想だと思ったのを覚えている。

その後、猛烈にこのおじいさんに腹が立った。えらい神様ならわざわざ試さなくたって、神通力でそれぞれの心根くらい見えないのか。死んじゃったうさぎが可哀想じゃないか。神様はうさぎが焼け死ぬことを知っていたのか。えらい神様ならうさぎを生き返らせてやってくれ〜!

。。。ということで、兎は月の表面に姿のみえる栄光に浴しているのである。。。

。。。ということは、あの月に見えている兎の姿は丸焦げのうさぎか。。。

。。。丸焦げのうさぎが餅をついているのか?。。。。。

。。。そもそもどうしてうさぎは餅をつくのか?。。。。

。。。餅つきうさぎ。。。もちつき。。。望月。。。満月。。。


法隆寺の天寿国曼荼羅繍帳に、月が描かれ、中にうさぎと薬つぼ、それから桂の木が描かれている。桂の木はひとまず置いておくとして、月と兎、そして薬つぼの関係である。うさぎはまた、仏教の天部十二天の一人、月天の使者であるという。
ちなみに月天は勢至菩薩の化身であり、日光菩薩とともに薬師如来の脇侍である月光菩薩とは別物であるが、いずれも薬との関連は深そうである。

はじめはうさぎも杵で薬をついていたらしいが、それが日本へわたるにつけて、望月(もちづき)と音がまじって餅つきうさぎが定着したようである。

私は単純に丸めた餅の形と満月が似ているからだと思っていたのだが。。。


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