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撮影:奈良県吉野郡 [戌]

桜の咲く季節というのが念頭にあったので、今年の撮影は春、桜の季節である。11月12月以外に撮影をするのは初めてのことである。桜を撮るならやはり吉野、しかし、桜の咲く季節は吉野でなくても人出が多い。ましてや吉野。五条あたりから国道が混雑し始めて、閉口した経験もある。そして今年も申年と同じように木に登るつもりである。花が咲き乱れていて、人気がなく、適度に登りやすい桜の木。。。吉野。。。。吉野の桜に登った日には警官が飛んでくるだろうなあ。。。やっぱり。。。でも。。。吉野。。。。
考えれば桜の名所は京都にも山ほどある。しかし、本当にこの季節はどこもかしこも桜愛好者で一杯になるのだ。人気のない桜の名所など、毛虫のいない桜の木を探すようなものである。
国道をはしっていると、山際にときどきぽつんと咲いている桜の木がある。しかしこの手の桜は枝が細く、幹の分かれ方も頼りなげである。個人的にはこれでもかと、咲き乱れるソメイヨシノよりは、ほんのり赤みが差し、控えめに咲くヤマザクラの方が好みであるが、写真にするなら、やっぱりソメイヨシノである。しかし、ソメイヨシノというのは、そもそも江戸時代の改良種である。自然に咲くソメイヨシノはあり得ない。人工的に植えられている以上、人気のないソメイヨシノなどどこに生えているのか。。。

しかし、やはり吉野はあきらめきれない。下千本、中千本、上千本、奥千本でなくてもいい、吉野近辺でどこかひっそりと咲いているところを探そう、と、車を出す。

一念天に通ず。ぐるぐると走り回った結果、見つけた。国道169号線を吉野山に向かわず、宮滝を抜け、吉野川沿いに進んだところに、きれいに整備された公園がある。人もまばら。。。なんという絶好の穴場!ちょうど桜は3分咲き、座り心地の良さそうな枝振りの良い枝垂れ桜。。。。 
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撮影当日、朝8時に現地に到着。いくら人気がなさそうな場所だと言っても、これだけ整備された公園、日中には地元のおじいちゃんやおばあちゃんが来るに違いない。。。。急げ急げ。。。とメイクをし、衣装をつけ、持参の脚立で幹を傷つけないようにモデルは木の上へ。。。早朝の青空からの太陽は清々しく、日差しの角度もばっちりである。ところが。。。
なんと、撮影開始後10分程して公園に人影がぱらぱらと。。。。なんと公園の掃除の(多分)有志の方達。。。怒られたらどうしよう。。。でも今やめる訳にはいかないし。。。と、日よけの布付きのサンバイザーをかぶった一人のおばさんが近づいてくる。

「あんたたち、なにしてるの」
人の良さそうなおばさんが、木の上をめずらしげに見上げて、のんびりとたずねる。
「あっ、、あああ、ちょっと撮影を」
カメラマンは精一杯の人の良い笑顔で答える。
木の上のシロ塗りのモデルもあやしい笑顔ながら、精一杯微笑む。
「ああ、そう。ごくろうさんやねえ」
おばさんはそういってもと来た方へ戻っていった。ホッ。
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あのような有志の方達によって、この公園はこんなにきれいに保たれているんだなあ、おばさん、ありがとう!! カメラマンは後ろ姿に向かって心の中で叫んだ。


衣装コンセプト・戌 [戌]

戌のイメージを絞るのはとても難しい。酉年のニワトリと同じように、戌年の犬は「柴犬」とか、一応の設定があればいいのだが、どうも、犬は何でもありである。日本の代表的な犬としては秋田犬、土佐犬、紀州犬、柴犬。。。。どうもイメージがまとまらないので、一番おめでたい絵柄になりそうなもの、花咲か爺さんのクライマックスをイメージして作ることにする。花咲か爺さんが咲かせた満開の桜の中に佇むシロの精。。。。ちょっと写真では犬をイメージするのは難しいが、これが今年のコンセプトである。
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羽織の後ろ模様。シルクの桜花、裾に小判

戌・犬のイメージ [戌]

1。花咲か爺さん
1。桃太郎
1。八犬伝の八房

犬は約1万年まえから家畜化され、人と共生してきた最も古い仲間である。「いぬ」は「いぬる(去ぬる)」に通じ、魔除けの象徴であった。赤ちゃんの額に戌の字を書いたり、子どものお守りに張り子の犬を飾ったりするのには、そのようないわれがある。

花咲か爺さん、桃太郎、そして滝沢馬琴の南総里見八犬伝に登場する八房も、それぞれ使える人間がいるという忠実な僕の役所として描かれている。

花咲か爺さんという、日本昔話でもベスト5に入るお話は、地方によって多少細部が異なってくるが、大まかな筋としては、善良な爺さん婆さん夫婦が受けた恩恵を隣の欲深い爺さん婆さん夫婦がまねたところ、散々な目に遭うというものである。クライマックスは、欲深爺さんに殺されたシロを埋めた土地から生えた木で作ったうすを燃やした灰を(ああ長い。。。)善良爺さんが枯れ枝にまくと花が咲くという場面である。私はなぜか、この花というのは一様に桜だと思っていたが、先日読み直すと梅の木には梅の花が、桜の木には桜の花が、桃の木には桃の花が咲くそうである。イメージ的にはシロは小さく白い犬なのだが、かますやくわを背にくくりつけた上に、爺さんとはいえ、人間一人乗せて山を登るのだから、結構大きな犬である。よく金太郎が熊にまたがっている挿絵があるが、バランスからいくと、金太郎の熊よりもシロの方が大きいのではないだろうか?そんな大きな犬を撃ち殺し、その後、死骸を引きずって善良爺さんの家の前に打ち捨てたということだから、隣のじいさまも、ずいぶん元気というか。。。挿絵の爺さんからは今の80才代か90才を想像するが、「源氏物語」では40才になった光源氏は既に老境の悟りに入ったような描かれ方をしているし、おそらくこの爺さん方は50代そこそこだろう。食糧事情は悪かっただろうが、体力的にはまだまだ元気だったのだろう。善良じいさんにしても枯れ木に登って(挿絵ではかなり高い木である)灰を撒けるくらいだから。

犬からずいぶん遠ざかってしまった。さて、桃太郎の犬。この犬も挿絵ではわりとちいさく描かれている。頭の高さはせいぜい桃太郎の腰くらい。似たような体格の猿と、さらに小さな雉を連れた子どもの桃太郎が自分たちを退治しにきたといえば、そりゃ鬼達は笑うだろう。しかし、子どもというのは老人とともに、神に近い能力をもつ存在の象徴なのである。詳しい説明は民俗学などの本をひもとけば延々とかいてあるので割愛するが、つまり鬼退治に行ったのは、非力に見える子どもと3匹の小動物ではなく、それぞれに神懸かり的な能力を有する者達であった。それぞれの動物は何を象徴するのか、これについては酉の項で述べたのでここでは書かない。

滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、この小説は、安房の里美家のお家騒動に始まる長編怪奇小説である。NHK人形劇、「新八犬伝」が放送されたのは、私の小学校時代である。辻村ジュサブローのあやしい魅力を放つ人形達は、今の私の目から見るととても子ども向けには見えないが、それはあくまで大人の感覚になってしまった私の意見で、私自身が子どもの頃に受けた印象が現在の私の位置に引っ張ってきた原動力の大きな部分を占めていることを思うと、大人の考える子ども目線というのは、子どもの感性を侮ったものなのかも知れない。「まだ子どもだから分からない」ということはない、子どものうちから大人の、ひいては時代の鑑賞に堪える美術なり、文芸なりをどんどん叩き込めば良いと思う。覚えさせる必要はない。大きな衝撃をうけた感覚は記憶の底に沈殿し感性のベースを作っていくものだと思う。今の受験勉強に見られるように、重箱の隅をつつくような試験問題、試験が終われば忘れてもOKの記憶学習ではなく、将来、自分のやりたい道を見つけた時、記憶の断片をさぐればなんらかの引き出しがあるような、そういう教育が必要なのではないか。

また話が犬から遠ざかってしまった。八犬伝に戻ろう。

この物語に登場する八房(やつふさ)という犬は、ヒロイン、伏姫の飼い犬であり、ひいては八犬士の父たる存在である。この犬はまさに牛のように巨躯堂々とし、敵陣に駈けいって敵将の首を獲ってくるような猛々しい犬である。からだに8つの斑があり、この斑が八房の名の由来でもあるのだが、これは八犬士誕生の布石のひとつである。伏姫と八房は無情にも鉄砲で撃たれて息絶えるのだが、そのときに「仁義礼智忠信孝悌」の八つの霊がそれぞれの玉を持つべき犬士の元へ飛び散る。伏姫と八房は霊となって八犬士を空の上から見守る存在となる。桃色の雲に乗り、八房を傍らに従えた伏姫の姿は、いまでも夕焼けの茜雲を見上げるたびに私の脳裏に蘇るのである。
あのときテレビはまだ白黒だったかも知れない。カラーテレビは普及していたが「カラーテレビは視力をおとす」という、その頃の風聞を受けた両親が、白黒テレビが壊れるまでカラーテレビを購入しなかったからである。ではどうして桃色の(もしかしたら茜雲といっていたかも知れないが)の印象が強く残っているかというと、進行役の黒子の恰好をした故坂本九ちゃんが解説していた言葉によって、頭の中のイメージに着色していたのだと思う。そういえばあの頃、ほとんどの友達は白黒の夢を見ると言っていた。しかし私はこれまで白黒の夢など見たことがない。今でこそ、白黒の夢を見る人はいないのかも知れないが、あの頃は「私の夢はカラー」と言うとキチガイのようにように言われたので、あえて黙っていたような気がする。返す返す、子どもの感性を侮ってはいけない。

東京の人形町は文字通り人形師の町で、駅のすぐ近くにジュサブロー館があり、10月に行われる人形市の初日には水天宮の境内でジュサブロー特別講演が行われる。私が行った年、偶然にも小さい頃の八房の人形を実演のために持っていらしていた。水天宮が安産、子授けの宮で、戌の日の御祈祷などもされてる縁で、もしかしたら毎年八房は登場しているのかも知れないが、私にすれば京都大丸で行われたジュサブロー展以来の再会だったので、とても嬉しかった。

ちなみに水天宮の御祭神はあ天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇、二位の尼(平清盛の妻)、建礼門院(清盛の娘、安徳天皇の母)の四柱である。天御中主大神は古事記にも出てくる宇宙創設の神だから分かるとしても、後の安徳天皇、二位の尼、建礼門院は。。。。この3人は誰もアズマの地を訪れてはいない。源氏の色濃い関東に平家を祭神にしたお宮があるなんて、不思議な気がする。水天門と言えば山口県下関市の赤間神宮だが、なんらかの理由で勧請してきたものだろうか。

水天宮の境内には犬の像もある。近くに行かれた時にはぜひ。


辻村ジュサブロー万華鏡花

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  • 作者: 辻村 ジュサブロー
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  • 発売日: 1980/06/30
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新八犬伝 上の巻

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  • 発売日: 2007/03/23
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撮影:和歌山熊野市鬼ケ城 [酉]

熊野灘に面するリアス式海岸は荒波によって海蝕された岩壁である。深くえぐれた洞窟には、その昔海賊がたむろしていたといわれ、「鬼ケ城」名がついたという。
「鬼ケ城」といえば、桃太郎が鬼退治に出かける先も「鬼ケ城」である。猿、鳥、犬の3家来は、鬼を表す方角、丑寅のちょうど対角にあたる位置にいる、と猿の項で書いた。ふと思ったが、鳥といっても、桃太郎に出てくる鳥は、挿絵ではキジだったような気がする。ということは、酉年の鳥はキジもありなのか。。。。?でも酉年の鳥に鳶、白鷺、カラス、梟、ミミズクは入らないハズである。なぜなら十二類合戦絵巻において、十二支からさんざん馬鹿にされたタヌキが復讐のために十二支に戦いを挑む時に、加勢を頼んだ中にこれらの鳥達ががいるからである。酉がすべての鳥を含むなら、ちょっとおかしな話になる。
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「十二類合戦絵巻」より 梟、鳶、白鷺
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こちらがニワトリ

桃太郎に出てくる鳥はなぜキジなのか?ちなみにキジは雉子・雉と書く。矢のようにまっすぐ飛ぶ鳥という由来の感じであるそうだ。私は雉が飛んでいる姿を見たことがないが、ということは、この猿、雉、犬はそれぞれ武器の象徴なのか?雉が矢なら、犬は。。。犬の武器は歯だから。。。歯。。。刃。。。刀。。。?では猿は。。。人間に似ているから、いわゆる郎党といったところ。。。かな。。。?ではニワトリの立場はどうなる?。。。。話が脱線しそうである。。。これは今後の課題としよう。。。。。

さて、熊野の鬼ケ城。荒々しさといい、太陽の昇る東に面していることといい、まさに不死鳥(フェニックス)の棲家にふさわしい、うってつけの場所だ。

12月に入り、海風も強く、海岸の場所によっては立ち入り禁止の区域もある。「千畳敷」と名付けられた、海賊達がたき火を囲んで酒盛りでもしそうな場所にとりあえず機材一式を置き、撮影準備にかかる。岩壁越し、煌煌と輝く太陽を背にした不死鳥。。。といきたかったが、実際太陽を背景にすると言わずもがな。逆光になり、人物は真っ黒になってしまう。相当な技術があれば可能かもしれないが、私の腕では不死鳥が烏になること明白である。。。というか、それに近いものをやってみて失敗したのである、一度目に。干支シリーズの撮影は二度行きはもはやジンクス。一度目にネガフィルムで撮影して失敗したので、二度目は初めてデジカメで撮ることにした。確認しながらだと失敗がないだろうし。。。
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失敗作。。。。。

二度目は荒波に浸食された岩を背景にすることにした。石英の岩壁は波の彫り放題。迫力のある自然彫刻美は見事の一言である。
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それにしても。。。ここは中国からの観光のメッカなのだろうか?駐車場の大型観光バスはパンダの絵と中国~観光~とかいてあるものしかない。あとは数台の乗用車である。もしかしたらなにか中国映画で使われたとか?中の数人が、撮影している私達をみて何か話している。いつぞやのときのように握手でも求められるかな。。。と思ったが、そのまま行ってしまった。

駐車場に隣接する物産展のなかに「名物和歌山ラーメン」と看板があったので、入ってみた。ミカンか梅干しでものっているのかと思いきや。。。何の変哲もない。。。なる一枚とワカメがちょろんとのったラーメン。。。これが名物和歌山ラーメン??

それにしても和歌山はドライブする場所としては侮れない。地図でいうところの中心部はいわゆる山間、紀伊山地なので、熊野へ大阪方面から行こうとすると、近畿道で名古屋方面に突っ切って伊勢志摩から下りてくるか、和歌山市へ向かって阪和道で田辺まで行くか、いずれにしても最終の何十キロかは延々海岸線をドライブしなければならない。青い海をみながらのドライブは快適だが、時間を急ぐ時にはちょっと辛いかもしれない。でもこれ以上高速を作ってほしくはない。人間が自然を都合のいいように開発していくのではなく、自然のたたずまいにちょっとおじゃまさせてもらうのが、自然と人間の本来のあり方だと思う。自然が自然であるままの姿を尊重してこそ、自然はその恩恵を人に与えてくれるのである。

延々と海岸線をドライブしながらそんなことを考えた。
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白浜の「とれとれ市場」の伊勢エビの海鮮盛り。食べる前に撮るべきだった。。。。


衣装コンセプト・酉 [酉]

飛行機発明されるまで、青空を自由に飛ぶことは鳥の専売であり、人々のあこがれであった。空を舞うことで太陽に近い存在とされ、象徴化されたのも納得のできるところである。太陽は永久不滅の象徴である。そこから永遠の命をもつ火の鳥=鳳凰が作られた。四神の朱雀はこの鳳凰の系統である。そのようなイメージなどなど。。。が今年の作品となった。
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ドレスの素材はフランスのリボン会社でもらってきたリボンを製造する時に断ち切られた「端」の部分(業界ではレピアくずという)を別布にミシンでたたきつけていったものである。本来は工場で廃棄されているものであるが、リヨンの工場を訪れた際に、使えそうだと思って、箱詰めにしたものを送ってもらったものである。くずとはいえ、100パーセントのシルク素材。出来上がりは艶やかで、箔も混じっているために超豪華である。
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闘鶏神社 [酉]

「闘鶏」という競技(?)がある。闘牛や闘犬と同じ類いのもので、ニワトリ同士を戦わせるものである。和歌山県田辺市に「闘鶏神社」という神社がある。その昔、この地域の有力な水軍の将である湛増に平家打倒軍の源氏の将である源義経が助勢を依頼した。義経はこの地の出身である弁慶を使者に使わしたところ(湛増の子だったという説も)、湛増は紅白のニワトリを本殿前で戦わせてどちらに加勢するかを占ったという。赤は平氏、白は源氏の象徴する旗印の色である。この時、赤のニワトリは白のニワトリを見て逃げ出し、湛増は熊野水軍を率いて源氏に味方することを決めたという。
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ちなみに現在の運動会で赤組、白組に分かれるのは、この源平の旗色に由来するそうだ。「白黒つける」ともいう。この時の白黒は善と悪の象徴である。「赤勝て、白勝て」の場合は赤と白は同等立場で、善悪の象徴ではない。勝敗は時の運で決まる。色の象徴するところも時と場合によりけりで面白い。

さて、闘鶏神社。この社の後ろには我が尊敬する南方熊楠大先生が「クラガリ山」と呼んだ樹木の生い茂る仮庵山(かりほやま)がある。大先生の奥様はこの闘鶏神社の宮司の娘さんであった縁もあって、大先生はここを熊野における植物研究の中心地とされたそうです。

ちなみに南方熊楠記念館は和歌山県のJR白浜駅から海岸に向かって20分程走ったところにある。海が見え、敷地内は様々な植物が植えられた一見の価値ある記念館である。私は特に菌類のコーナーが面白かった。交通はちょっと不便だが、人類学から考古学から天文学から、なにからなにまでウルトラマルチ人間の南方熊楠大先生の記念館、ぜひ訪れてみてください。


酉・鳥のイメージ [酉]

鳥とはいいながら、酉年の鳥はなんでも良いというのではなく、ほぼニワトリと相場が決まっているようである。人間に益をもたらす最も身近な鳥として認識されているというところだろうか。

明治時代に時計が普及するまでは鶏は告時の番人であった。時計の語源も時鶏(とけい)からきているとかきていないとか。。。因に一番鶏とは丑の刻(2:00am)、二番鳥は寅の刻(4:00)である。朝起きるタイマー代わりにするには少々早すぎないか。。。? 

このニワトリの習性を物語るもっとも古い話は古事記の天の岩戸物語に登場する「常世長鳴鳥(とこよのなががきどり)」だろう。岩戸にこもっていたアマテラスが、アメノウズメの踊りに誘われて出てきた時に喜びの第一声を告げたというニワトリ族の名誉ある御先祖様である。

時を司ることで、鶏はまた太陽の象徴でもある。おなじく太陽の象徴として熊野神社の八咫烏がいる。熊野湾にから大和まで神武天皇を先導したという三本足の烏である。現代ではJリーグのシンボルマークとしての印象の方が強いかもしれない。
おなじく神話に登場する鳥に金色の鳶がいる。神武天皇がナガスネヒコを討伐する時に弓の先にとまり、戦勝へ導いた鳥であるが、金色というところから太陽を象徴することに関わりがありそうである
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大台ケ原の神武天皇像 杖の先に止まっているのが金色の鳶

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