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撮影イメージ: ロケ場所探し1 大台ケ原 [丑]

「牛頭天王の神秘な霊を地獄の雰囲気で」撮るために、撮影場所にはずいぶんこだわった。今年は干支シリーズの最終年である。地獄、または死の雰囲気のある場所を考えた時に大台ケ原を思いついた。
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大台ケ原の原生林

大台ケ原は年間5000ミリという世界有数の多雨地帯である。奈良県と三重県の県境を南北に走る台高山脈の南端に位置し、山頂が平らであるが、名前の由来であるらしい。
1959年の伊勢湾台風の直撃により、通り道筋のトウヒが立ち枯れてしまった。屋久島と並ぶ原生林が、これにより生態系が変化し、辺り一体はいとざさの平原となった。

白く枯れたトウヒはまるで白骨のように見える。さらに大台ケ原には神武天皇によって封じ込められた魔牛が姿をかえたという「牛石」があるということである。ますます今年の撮影場所にふさわしいように思える。霧が多いという情報もあったが、霧の中に浮かぶ様子も恰好いいのでは、と大台ケ原に向かうことにする。
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牛ケ原の牛石

衣装一式を持って現地へ。大台ケ原までは約140km、名神高速から近畿自動車道、阪和、南阪奈を高速を乗り継いだ後に約90kmの下道が待っている。天候は曇り。屋外の撮影では快晴では帰って陰影が強くなってきれいな仕上がりにならないことも多いので、ちょうど良い感じ。目指す東大台のハイキングコースは、ハイキングコースとはいいながら、結構勾配があったりする。今回は行かなかったしおから吊り橋付近は相当きついそうだ。

さて、立ち枯れのスポット、正木が原に到着。。。到着。。。視界はとても良い。熊野灘までがすっきりと見わたせる。。。立ち枯れになった白いトウヒが予想通り白骨のように折り重なり。。。しかし。。。強風が。。。すさまじい。。。
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これはその時撮った写真であるが、写真では風はまったく見えない。吹いている気配さえ感じない。現地で撮った写真でさえこうなのだから、下調べの時に見た写真でこの強風を予想することは不可能である。いや、山頂だから風が吹き抜けることは予測できたのかも知れないが、ここまでとは。。。台風にやられ、立ち枯れした林には風を遮るものは何もない。

「うひゃ〜」

カメラマンとモデル、呆然と立ちすくむ。風さえ考えなければ絶好の撮影風景なのだが、なにしろ風が。。。その風は一瞬たりとも休む様子がなく。。。

衣装持ちのまま大蛇嵓まで足をのばし、絶壁からの絶景を堪能して帰路についた。
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衣装コンセプト・丑 [丑]



今年、丑年は十二支シリーズ最後の年。牛のイメージも最強の「牛頭天王」がテーマである。「牛頭天王」はインドの祇園精舎の守護神で、牛頭人身の姿をしている。古事記で「荒ぶる神」の代表であるスサノオと習合し、疫病の神などとして祀られる。京都祇園の八坂神社の祭神はもちろん牛頭天王である。

牛頭人身のキャラクターに牛頭鬼という地獄の獄卒がいる。馬頭人身の馬頭鬼(めずき)とペアで描かれていることが多い。牛頭鬼馬頭鬼共に生前に悪行を行った人々を責め苛む存在である。同じ牛頭人身とはいえ、牛頭天王とはずいぶん異なる存在である。
牛も馬も共に人の生活、特に生きるための労働を共にする家畜として最も身近な動物とはいえ、生前から死後に至るまでのおつきあいとは、なんとも深いご縁である。

その辺りをぐるっとまとめたのが今年の衣装。地獄の泉のほとりに佇む牛頭天王の精といったところである。

丑・牛のイメージ [丑]

牛には、牛車をひいたり、田畑を耕したりしている従順なおとなしい力持ちと、闘牛やロデオなどに見られる猛々しさとの、対局のイメージがある。
日本に生息する牛は茶色や黒系統、福島県会津市の名物赤べこなんていうのもいるが、白地に黒斑のホルスタインのようなイメージは、江戸時代までの民芸的、文芸的な中では見られない。

牛乳やチーズ、バターなど、乳製品の行き渡った現代の食生活からは考えられないが、仏教の影響で4つ足を(基本的には)食べる習慣のなかった日本では、牛はもっぱら労働のパートナーであった。また、牛はインドでは神聖な動物であり、日本の天満宮でも神使いである。天神さんである菅原道真公は丑年生まれ、丑年丑日にお亡くなりになったとか。。。
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北野天神縁起より

鞍馬山で天狗に育てられた牛若丸が成人して源氏の大将、源義経となった。
平家を倶利伽羅峠で破った木曾義仲は牛の角に松明をつけ、崖の上から暴走する牛の群れを平家の陣になだれ込ませる戦法をあみだした。源氏は牛とは縁が深いのか?

撮影: 滋賀県高島市マキノ町/2日目 晴れ [亥]

撮影も2度目ともなると、なんだか懐かしい場所に帰ってきたかのような親近感がわく。しかし、どうも田園広がる里山を背景にした図は収まりが悪い。風景の中にぽつんと衣装を着た人物がいる、という風になってしまう。メタセコイヤ並木、草原、雑木林を移動して、結局メタセコイヤ並木沿いの雑木林の中で撮影することに決めた。角度によっては背後に果物畑や作業用の建物などが映ってしまうので、三脚の位置が結構難しい。並木沿いなので、ピックランドに野菜を買いにくる車や、畑で作業する車は2メートルと離れていないところを走っていく。雑木林の中にいるモデルは、衣装が以外と保護色になって気がつかれない。むしろ歩道の端に三脚を構えているカメラマンの方が「なにやってんの」目線で見られる。
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車の往来という点では、雑木林での撮影よりも、メタセコイヤ並木の真ん中でポーズをつくっている写真を撮るときの方が大変だった。「マキノへようこそ!」みたいな感じで撮ったこの写真、ぐうぜんマキノで行われた写真コンテストに出品したのだが、残念ながら落選してしまった。テーマは「マキノの風景」だったのだが。。。。確かにマキノの風景であって、マキノの風景ではない。。。かな。
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クルミ割り人形の怪物ネズミ [子]

ネズミと言えば、私の衣装の仕事に関わるのだが、クリスマスの定番のバレエ、チャイコフスキー作曲、「くるみ割り人形」にでてくる悪役のネズミ達がいる。物語の主役、くるみ割り人形の敵役である。このネズミは俵の端をかじって逃げるような可愛らしいネズミではなく、まさに怪物ネズミである。親分は7つの頭、7つのしっぽを持つ八岐大蛇顔負けの巨大ネズミ。ネズミ軍団とくるみ割り人形率いる兵隊達の戦闘シーンは、その後ロマンチックなシーンの連続となる「くるみ割り人形」において、圧巻のシーンである。
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これはそのネズミ達の衣装である。怪物ネズミなので、目は真っ赤。ハツカネズミの可愛い赤い目とはずいぶん印象の異なる赤目である。照明が当たるとさらにぎらぎらと不気味であった。
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タグ:バレエ衣装

撮影:京町家 [子]

俵のネズミが米食ってちゅう。。。

とくれば、撮影はやはり日本家屋でしょう。これまではすべて自然の中で撮影してきたので、今年は初の屋内撮影である。京都の友人が改築した町家は、梁に藁縄をくくりつけた意匠の面白い空間である。俵も藁縄も、共に稲の藁から出来ているものなので、イメージがつながるかな。。。と思ったのだが、位置が少し高すぎて、結局町家らしい障子と塗り壁のを背景に撮ることにした。

ネズミの天敵は猫である。なぜネズミの天敵は猫なのか。十二支選抜にあたり、猫はネズミのせいで出遅れたからだと昔話は伝えている。
写真の構図では、チーズを狙ったネズミを猫が狙っているという情景をシルエットで表現してみた。
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今年の撮影は一度で終了! 初の快挙である。


衣装コンセプト・子 [子]

ネズミの色というのは灰色、白、黒。。。と、モノトーンで収まってしまうが、それでは面白くないので、和のイメージでまとめようと思っている干支シリーズではあるが、あえて洋のネズミの好物。。。エメンタールというトムとジェリーなどでおなじみの穴あきチーズ。。。をイメージした衣装を作ることにした。
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子・鼠のイメージ [子]

子という字は了(おわる)に一(はじまり)と書く。ゆえに子は十二支の第一席に位置しているという。

「ずいずいずっころばし」でも「おむすびころりん」でも、ネズミと米は関係が深いようである。ネズミは約一万年前から人類の住居近くで生活している、といっても犬のように共生するのではなく、ネズミの語源が不寝見、寝盗みと言われているように、歓迎されざる存在であったようである。また、根住の国(=地下の国)=根の国=黄泉の国と、ネズミにはやはりいい印象は与えられていないようである。
  
ネズミはまるっきり悪者なのか?ネズミの仲間にはリス、カピバラのように好意を持って受け入れられるものもいるが、ビーバー、ヤマアラシのように迷惑がられている仲間もいるのも多いようである。

ネズミ族の先祖はパラシスという60センチ位の大型哺乳動物で、進化するに従って小型化して行ったようであるが、進化することによって小型化したのはネズミ族だけらしい。同時代に大型化していった動物、最たるものは恐竜であるが、顕著に巨大化したものは次々に絶滅した。そのなかでネズミ族は現在世界に800種、日本に20種という繁栄ぶり。ねずみ算といわれるごとく、繁殖力も旺盛である。例えば2匹のネズミが一月に12匹生むと一年後には277億匹になるそうで。。。

どのような環境にも対応し、人類絶滅後の地球征服者はおそらく彼らであろうとも言われる由縁である。
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「絵師草紙」より

撮影: 滋賀県高島市マキノ町/1日目 虹、曇り後雨 [亥]

まず「里山」を探す。棚田など広がっていれば理想的である。里山、棚田は思ったより全国に点在する。それぞれ地元の方達の保存活動によってその風景を保たれている。里山、棚田は共に常の手入れが必要で、農家の高齢化や休耕田の増加など、景観保存には大変なご苦労を伴うことだと思う。米作りなど、里山、棚田での参加活動を呼びかけているところも多く、私も今にぜひ参加したい。

さて、その中の一つ、滋賀県高島市マキノ町に下見に向かう。マキノはどちらかというとスキー場として知られているかも知れない。
国道161号線をひたすら北上。。。マキノは琵琶湖の北端に近い、桜の名所である海津大崎の手前にある。国道を走っていると前方に大きな虹。
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メタセコイヤ並木を中心に、その辺りをぐるぐると回る。のどかな田園風景が広がり、「猿用爆竹 あります」なんて、看板が立っていたりする。猪のでそうな風景を探しにきたんだけど、猿も出るんだ〜などと言っている間に。。。。

虹がかかるのは雨の後だと思っていたのだが、雲行きがだんだんあやしくなってきたのだ。一応衣装一式持参で来ているのだが、空は鉛色、雨は。。。

「無理だね、これは」
カメラマンとモデル、顔を見合わせる。2度参りのジンクス、今年も出たか、というところである。一時間程車内で待ってみたが、天気は変わりそうにない。あきらめて道の駅で地元の新鮮野菜を買いに走った。

福井から琵琶湖へ出る161号線で、はじめて琵琶湖が見えるという追坂峠にある道の駅は、なかなかスグレモノである。新鮮野菜が置いてあるし、琵琶湖を眺められる飲食スペースでは、その昔、越前から琵琶湖へ向かった旅人がこの峠を超えて琵琶湖を初めて目にしたときの感動に思いを馳せたりできる。

また、メタセコイヤ並木添いにあるマキノピックランドもでも新鮮野菜は充実した品揃えである。道の駅大好きのカメラマンとモデルにはたまらないお楽しみ場である。

ちなみにこのメタセコイヤ並木、地図で見ると、マキノ町の中で、この並木に当たるところだけが不自然なくらいまっすぐに伸びている。もともと第二次世界大戦の時に戦闘機の滑走路として作られたそうである。今では並木沿いにはのどかな果物畑や椎茸の原木林(?)が広がり、戦闘機の走る姿などは想像できない。平和は本当にありがたいと思う。
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車内より 薄曇りのメタセコイヤ並木


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